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04.02.2003
Ongoing vol.01
 
関連プログラムの記録
平田オリザ氏 X 村上 タカシ氏 ゲストトーク
このゲストトークは、社会とのつながりを重視しながら表現活動を行う現役アーティストへの質疑を通じ、参加者が今後の自分の活動に反映すること、来場頂いた方と問題意識を共有することを期待して行いました。

・当日の記録(部分)
当日行われた中から、いつくつかトピックスを絞ってご紹介します。

アーティストとしてやってゆく:

司会:現在アーティストがアーティストであることが難しいというか、誰でもアーティストになりうる、という状況があると思うんですけれども、そういった中でプロのアーティストというものはどんなものかという点についてお伺いできますか。

平田オリザ氏(以下平田):プロかプロでないかはさして重要なことと思ってないんです。食えるか食えないかというのは若干あるけど、それはプロかプロでないかの境目ではないですよね。例えば相撲取りというのは、十両から上しか給料がでないんですが、じゃあ幕下とかの相撲取りはプロじゃないかっていうとやっぱりプロなんですね。アマチュア相撲部の人より弱いかもしれないけどやっぱりプロなんですね。それは多分人生を賭けてる、それ以外では食べていかないと決めたということです。その意識の差はありますよね。

平田:自分の人生を賭けるということは、3年後も5年後も10年後も多分その仕事あるいはその仕事に関することをやっているということで、(プロというのは)そこから逆算して今何をやるべきかっていうことを考えてる人だと思うんですね。残念ながら、特に日本の演劇の場合でいうと、あまりそういう意識がないんですね。それだから正当な競争もなく、プロ意識がなかなか育たないという事はありますね。

平田:当然芸術というのは一回性のものなんですけど、個人は何十年か生きていかなきゃいけないので、その一回性のものと生きていくということの整合性をちゃんととってゆくことが活動してゆくことだと思うんですね。そのバランスをどれだけ意識しているかということなんじゃないかと僕自身は思っています。

会場から(小川格さん):5年10年後のビジョンから逆算して今現在をとらえてゆくっておっしゃってたかと思うんですけど、それは例えば10年後自分が作りたい作品があるということなんでしょうか。そうならばなぜいまではないのでしょうか。

平田:作品じゃないですね。演劇の場合にはその作品が20年後30年後にどこか別の国で上演されたりする可能性もあるわけですが、そういう可能性を想像力でもって常に自分の内側に持ち続けるということですね。

小川格:夢みたいなものですか。

平田:そうですね。演劇は集団でやりますから、ある種の持続性がないとできないわけです。明日僕が気が変わったから「あれやめます」、というようなことを言っていたら、今日でさえも作品はできないわけです。そんな人には誰もついていかないから。だからちゃんと組織化して、ビジョンを持って進んでゆくってことは間違いないですけどね。

村上タカシ氏(以下村上):プロのアーティストというのは自分なりの制作に対する考え方ですよね。ただ作っていればいいというわけではなくて、思想的なものも必要だろうし、表現としても想像力というのが当然必要になってくると思います。なおかつかなり強いプロ意識というのを持っていないと、厳しい世界ですから、生き残れないんじゃないかと思います。

村上:どういうスタンスで作品を創り続けるのかも重要だと思うんです。表現する発表の場なんですが、3つぐらいあるんですね。1つが、自分でお金を出して貸し画廊で個展やグループ展をやるというパターンですね。日本の制度として、銀座、京橋、青山などを含めていろんな貸し画廊があるんですね。1週間で10万だと20万だとかそれぐらいの経費を組んで自分でプレゼンして作品を発表するわけです。また、公募展に出すというのも1つの方法です。いろんな賞がついている公募展がありますから、それに出しながら自分をプレゼンしてゆくというやり方もあるかと思います。そしてもう1つが、美大など美術系のところを出て団体展に発表して会員になってゆくというやり方ですね。これも問題含んでいるんですけど、日展であったり院展であったり二科展であったりいわゆる権威のある団体のお偉い先生方が、理事会だとかいろんなところで先生をやられてたりするんですけど、その先生とのつながりもあって会員になればそのお弟子さんがいたりとか、流通があったりするんですね。マーケットが成立してたりもします。

村上:これまで日本の中ではこういったパターンが多かったわけですが、これから必要になってくるのは、いわば発表する場をも創ってゆくことです。今回(Ongoing)で非常に魅力のある点というのは、自分たちで発表する場をも創ってしまったということなんですね。新人というか作品を創り始めたばっかりの人には、いくら待っていてもギャラリーの人から企画展やんないかとか、美術館の人から個展やんないかなんていうのはまず来ません。おそらくそういう話は、こないと思っていいかと思います。そうであれば、自分から売り込む方法としてこういう形で発表してゆくようなことが必要になってくるんじゃないかと思います。

山咲ナナさん(以下山咲):私たちが今からやっていくことっていうのは、絵が売れるとか、作品が売れるとか、見せたらお金が取れるとか、そういうふうには成立しない作品ではないかと思うんです。つまりお金がなかなか取れないような作品をやっていくことが多いというか、そういうことにこだわらないでやっていかなくてはいけなくて、そういう時に、例えば日本の人は(海外のように)思想を買うとか、エンターテイメントじゃないんですけども、そういう風に定着していくということは考えられないでしょうか。

平田:それは無理ですよ。僕はね、食えないとは思わないのね。食ってけますよ、日本だから。豊かな国だからね。だけどあなたのやろうとしてることがすばらしければすばらしいほど、お金にはならない。普遍的であれば普遍的であるほど。消費化する人が儲けるんであって、コンセプトやアイデアっていうのは著作権の対象にもならないから、食ってけないですよ。ずーっと隠しておいて、消費化してから一遍に発表するならいいけど、そんなことは不可能ですからね、芸術の世界では。それはしょうがない。

平田:だけど現実の世界っていうのは、その分尊敬が得られれば別にいいと思っているんですね、少なくとも僕個人は。だけど世の中には尊敬も得られないというところがあるから、そこだけが問題なんであって、まあすごく大金持ちになるってことは考えない方がいいですよね。

平田:芸大では、著作権法の授業はあるんですか?ない?たぶんね、そこらへんが日本のアーティストの脆弱なところだと思うんですけど。今の話題とかは著作権法の一番最初の授業でやる話だと思います。(丸を描いて)ただ単に丸を描いたりだとか、ピアノの鍵盤をボンと鳴らしても、それは著作権法の対象にはならないんですよ。保護されない。すなわちそれはプライベートなことなわけです。プライベートなこととパーソナルなこと、何が違うかっていうと、「パーソナル」というのは「個」だから、他と個の区別がつくということなんですよね。こうやって平田オリザと署名を入れると他者との区別がつく。だからこれをまねしたら、僕の著作権を侵害したことになるんですよ。でもこれ(署名)がなくてただの丸だったら、ただのプライベートな行為だから他人が同じことをやっても著作権法には違反しないんです。

平田:芸術というのは基本的にはプライベートなことを出発点にするんだけれども、ある時に他者との区別というものが出来てきて、それはパーソナルなものになる。そして、パーソナルなものにならない限りは絶対にパブリックなものにはなっていかないです。で商売にもならない。例えば歌手の場合、多くの歌手にとって、歌って認められるかどうかというのは、それがちゃんとパーソナルな行為になっているかどうかというところだと思うんですけどね。それだけが問題なんであって、(プロとアマを)区別するかどうかってことはそれほどたいした問題じゃないんじゃないかな、と僕は思っています。


芸術は必要か:

会場から(江場さん):芸術の必要性について、宗教のシステムに例えたお話があったと思うんですが、その辺についてもう一度聞かせて下さい。

平田:私たちの人生は、少なくともどんなに幸福な人でも、愛する人と別れたり、愛するものを失ったりとかですね、あるいは大きな挫折を経験するわけです。僕は、基本的には一般の市民にとっての芸術というのは、(将来)そういう非常に大きな精神的なショックを受けたときに、その衝撃を柔らげるための保険みたいなものだと思っています。

平田:宗教の話ですが、人間にとって一番大きな出来事というのは死なわけです。しかしずーっと哀しんでいたら飢えて死んでしまうので、どこかで仕事に戻っていかなくてはいけない。そのために、どんな宗教でもすぐれた宗教というのは、例えば仏教だったら初七日とか四十九日とか三回忌とか区切りを作っているように、喪の規制を少しずつ緩めてゆくシステムを持っているわけです。宗教が死という悲しみを頂点にして、これ(悲しみ)を徐々に社会の中に柔らげていってくれるものだとすれば、死というものを前提にして、どうきちんと対処していくか、辿り着いていくかというのが僕は芸術の仕事だと思っているわけです。

平田:死の悲しみ、死を迎える精神的な不安というものは、そう何度も人生の中で経験するものではありません。しかし芸術というのは他者の生に触れるということです。ですから悲しみとか孤独とか寂しさといった、死だけではないけれどもそういうものに対して、ある種のシミュレーションができるんじゃないか。そしてそこに(芸術の)社会的な価値があるんだ、と僕は思っています。人類が社会を築いた5千年なり1万年なりの歴史の中で、芸術は宗教と同じようにシステムとして社会の中で生き残っているわけです。そしてその生き残っている理由は、やはりそういう目に見えない機能を社会が認めてきたからではないか、と僕は思っています。

村上:まず芸術がなかったら世の中退屈でしょうがないからあるにこしたことはないっていう単純な考えがありますが、芸術の定義ということで話を始めるといろんな考え方があると思います。

村上:例えばいろんなアイデアであったり想像力であったりは必要かということにも置き換えられると思います。現在、芸術というのは、例えばきれいな花の絵を描きましたとか、それを展示したいんですというレベルで語られるだけでなく、もっと多様な表現があるわけです。その表現の中には、非常に重要な社会的テーマを内包したものであるとか、独自の表現方法があるわけですよね。そういう創造性がこれからの社会では当然必要です。また、アーティストと自ら名乗っている人だけじゃなくても必要になると思いますね。

村上:なぜ今社会がギクシャクしているのか、自殺者が多いのかとか、そういう現象をたどっていくと、やはり想像力がない、ということにつながると思うんです。そういった問題について、アートに置き換えるのは非常に乱暴ではあるんですが、やはり想像力を身に付けるようなことをやっていかないといけない。例えばここに大学生くらいの人たちがいっぱい集まっているわけですが、学生の人たちだけじゃなくて、もっと小さい子どもたちとか、あるいは親向けのワークショップであるとかね、いろんなかたちで想像性を高めてゆくようなことっていうのは必要になってくると思います。


芸術は根付くか:

小川希(以下小川):実際今の日本の状況を考えてみて、アーティストは全然食べていけませんよね。それはなぜかっていうと、資本主義の構造と相反するものじゃないですか、芸術活動というのは。興味を持たない人に強引に見せるというより、見せる、見せて興味を持ってもらわないことには、やっぱりやっていけないですよね。今のままでこうやって来てくださる方だけに向けてやっているということでは、日本ではちっちゃいものになっちゃいがちだと思うんですけど。それをどんどん広げてゆく必要性っていうものについてはどう思われますか?

平田:数の問題じゃないと思うんだな。例えば劇場なら劇場という空間があった時に、演劇の好きな人は劇場を建てた方がいいっていうに決まっているけれど、その地域の大半の人は、演劇になんて興味はないわけですよ。中には演劇なんてものは大嫌いだという人もいるわけですよ。私たちがやっていかなくてはいけないことは、そういう人たちにも劇場や美術館があった方がいい、あるいは美術家や演劇人が社会の中にいた方がいいと思ってもらわないといけないわけですね。例えば病院が大嫌い、注射が嫌いという人は沢山いるけど、病院が無い方がましだという人はいないわけです。学校もそうですよね。無い方がいいっていう人は相当問題意識を持った少数人です。だから(芸術は)そういう存在(無い方がましだという人はいない存在)にまずならないといけない。私たちはそういう存在になるためにはどうしたらいいかってことを考えていかなければならないんで、無理矢理首根っこ捕まえて嫌いな人たちに見せるとかそういうことではやっぱり無い、と思いますね。

平田:矛盾するような言い方になりますけど、そうはいっても僕は芸術というのは医療や教育と同じくらいには公共性のあるものだと思ってますから、例えば、健康診断っていうのは完全な義務ではないけれどもある程度社会のシステムの中に組み込まれてますよね。大学とか、企業とか必ず健康診断ってありますね。それくらいには芸術にふれる機会っていうのは保証され、しかも制度化されてもいいのじゃないか、と思ってます。

平田:埼玉県の富士見市というところに今度劇場ができるんですが、そこでは地域通貨を作って、その地域通貨で劇場のお芝居が見られるようにしようとしてるんですね。それは主には、そこで働くボランティアの方たちが地域通過を稼いでですね、アーツと呼んでいるんですけど、時給800アーツとかでこう働くわけですね。たいてい主婦の方が多いんですけど、どんどんたまっちゃうわけですね。そうするとしょうがないからちょっとあんた見に行ってきてよ、っていってだんなさんが普段見に行かない芝居をみにいったりするのが一応、第1ステップ。そういうことを今やろうとしてるんです。それくらいの制度化は必要なんじゃないかと思います。義務化は必要ないんじゃないか。義務化は芸術の性格上、無理だし馴染まないと思うんだけれども、社会の中に制度として組み入れていくっていうことは大事だと思いますね。

平田:例えば雪印の問題、大変な問題になりましたね。同じようなことは味の素も経験していたんだけれども、味の素はすごく叩かれたときに、会社の中に社会貢献課というボランティアの課を作ってですね、ほとんどの社員がそういうものに参加できるようなシステムを作ったわけです。企業も公共性が高くなっていて、人間一人の公共性のポテンシャルのようなものがすごく高くなっています。それに耐えるためには組織の中にそれだけの柔軟性のある人間を一人一人作っていかないと、組織が成り立っていかない時代になっているんです。そのためには、企業もどうしても芸術活動とかボランティア活動とか環境活動を社内でもやっていかなきゃいけない時代になってきてるんですね。そういう風な意味での制度化っていうのはこれからどんどん起こってくるだろうし、そのときに芸術は一つ大きなポジションを占めるだろうと、僕は思っています。

村上:芸術が必要だっていうのは芸術家のあり方にも関係するんだけれど、とにかくいつの時代でもアーティストに対してはスポンサーというかパトロンがいたわけですよね。時代によっては王室であったり貴族であったりとかね。アメリカ型のブルジョワ的な人たちがコレクターになったりとか、ギャラリーがスポンサーになったりとかね。じゃあ、今誰がスポンサーなのかパトロンなのか、と考えてみると、すごくポピュラー化している部分もあるんです。市民やNPO・NGOであったり、あるいは自治体とかがスポンサーになる、そんな時代だと思うんですね。

村上:アーティストがアーティストとして食べていけるんだったらパトロンをつけるのは悪いことじゃない。時代によって対象が変わって来ただけでそういう流れでずっと来てるわけだから、企業であったり自治体なんかもね、今はパトロンとして見ていっていいんじゃないかと思います。逆にそういうことで関わってゆくことで個人、市民も変わっていくし、自治体も一緒に組むことによってアート化したり、アートを理解してくれたりします。お金のことを考えている企業の人たち、サラリーマンも含めて、そういう人たちもアート(の土俵に)乗っけるようなね。

村上:お金を出したからにはやはりそれを評価していかなきゃいけなくなるから、必然的に、今回お金を出したけどもあれはどうだった、っていうのが出てくると思うんですね。積極的にそういうのはアプローチしていっていいんじゃないでしょうか。

小川:全く興味をもたない人に対しても、そういうのは義務としてやっていった方がいいということでしょうか?

村上:興味を持たない人に無理矢理するのは苦痛なんですよね。たとえば、今パブリックアートなんて言われて街の中にどデカイのこぎりの彫刻が現れたりしてますけれど、ああいうパブリックアートにも、誰が選ぶかとか、いつまで置くのか、といったいろんな問題があります。パブリックアートも、不特定多数の人に無理矢理見せちゃうという、下手をすると彫刻公害とか、環境破壊につながるということも言われてたりするわけですよね。アメリカなんかでは、無理矢理見せてるということで、撤去してもらいたいという市民運動が起きるとか、実際に撤去されたりということがありましたが、日本でも徐々にそういう意識が出てきていると思います。

村上:方向性としては、パブリックアートもずっと恒久的に置くのではなくて、期限を決めて配置するとかね。決め方も、特定のディレクターが一人で決めるのではなくて、商店街のおじさんたちとか、学校の校長先生とか、PTAの人たちとか役所の人たちなんかも入って、いろんな人たちが関わり合いながら、検討していくっていうのもあるかと思います。いろんな人たちの意見は聞いた方がいいでしょうね。

村上:こういう場所(Ongoing)だとやっぱり見たい人が集まってきているわけですよね。ところがこれを見たくもない人たちを、例えばバスで強引に連れてきて見せるっていうことは、今まで結構美術館ではやっていたんですよ。子どもたちを護送車のようにガーっとバスで集めて会場にワーと放して。でもそれには反省もあって、世田谷美術館なんかも止めちゃったんです。無理矢理見せるっていうのは苦痛でしかない。やはり自発性が必要になってくるんですよね。その仕掛けが大事になってくると思います。

魅力的なプレゼンテーションというか、あそこに行ったら情報が得られるとか、面白い体験ができるとか、仕掛けですよね。工夫が必要だと思います。

会場から(大野さん):コミュニティアートの考え方とか、広く一般にというところで、すごくアートをわかりやすくしなければいけないというような部分があると思うんです。わかりにくいものをわかりやすくするというところでいろいろ矛盾が出てくると思うんですが、その辺りいかがですか?

村上:社会と芸術の接点という時、社会というのは何かっていうので、漠然としちゃいますよね。それは例えば地域もそうだけど、地域って何?ていうところで。じゃ文化施設なのか、はたまた商店街なのか、そういう箱ものだけじゃなくてそこで働いている人なんじゃないかと。商店街の会長さんなんかと一緒にやるとか、またはいろんな地域だったら美術館だったり博物館だったりね、そういったところもそうだし、役所の人もそうだし、いろんな人と人とのつながりで社会性というか社会の接点ができていくんじゃないかと思うんです。あまりにも漠然と社会との接点とかを考えていても結局具体的な方向が出てこないというようなことに陥っちゃうんじゃないでしょうか。

村上:コミュニティアートというのも聞き慣れない言葉なのかもしれないですが、イギリスなんかではかなりやっているみたいです。学校の中で美術教育やりますよね。それが学校を離れた形で例えばアートワークショップであるとか、シンポジウムなどを行う。そういう中で生まれてきたような概念だと思うんですが。日本でもやっとコミュニティアートとして展開している人が出てきているんじゃないかと思います。

村上:もう1つの説明としては、そういった学校教育の流れとは違って、社会教育の中で例えば美術館、博物館などで、芸術普及というのが盛んになってきたんですが、美術館を離れて、アウトリーチ活動ということで、展開している人たちも徐々にではありますが増えてきているわけです。

村上:また、地域の中でも公民館であったり学校に出張してやるとか、子どもたち集めてどこかの山に一緒にキャンプ行くとか、そういうアウトリーチ活動なんかも出てきた。今面白いのが、学校を離れたコミュニティアートと、美術館から飛び出していったアウトリーチ活動が、同じような感じで動き始めていることです。そういうことでまたコラボレーションも出来るんじゃないかと思うんです。これからは芸術と社会の接点というのでも、より具体的に想定して事を興していけばいいんじゃないかと思います。

村上:じゃあ次、自分だったらどこでやろうか、自分が住んでるところでどこか使える場所はないか、とかね。そういうふうに具体的に探していくとか、自治会や地域の人たちと組んで事を興していくとか。とにかく待っていても進まないので、自分から始めちゃうっていうのが問題解決につながると思います。

2002年4月14日(日)14:00〜16:00
東京都六本木旧三河台中学校にて



・出席者および略歴

平田オリザ
東京都生まれ。1983年劇団青年団結成。現在は、平田氏自身が所有、経営するこまばアゴラ劇場を拠点に活動を続けている。
劇作家、演出家としての活動はもとより、教育、言語、文芸など多分野の批評、随筆などを各誌に掲載。近年は、フランス、アメリカの若い演劇人との合同プロジェクト、全国各地と海外でのワークショップなどで注目を集めている。2002年中学2年生の教科書「現代の国語」にワークショップの方法論が導入され演劇学習教材となる。
桜美林大学助教授。(財)舞台芸術財団演劇人会議評議委員。他委員多数。


村上タカシ
熊本県生まれ。1986年より個展を中心に美術家として東京で活動を開始する。1994年 555 Arts And Act結成、主宰。
専門分野としては、版画及び、芸術学や教育学を学ぶ。また、IZUMIWAKU projectをはじめ、数々のアートプロジェクトのプランニングを行う。最近は「ア-ツ・センター計画」を含め現代美術を中心とし、芸術普及や人材育成、文化政策をテーマに美術館や大学等で講義も行っている。
NPO芸術資源開発機構ARDA/文化政策提言ネットワークCPnet/宮城教育大学教員


山咲ナナ
1971年熊本県生まれ。現在東京芸術大学先端芸術表現科4年に在学中。
Ongoing には、知己が暮らす部屋を撮影してTシャツにプリントした「フレンドコレクターズ」を出品。


Quake Centerから
小川希、坪井りん、坪井あや(司会)


実施方法
このゲストトークは、作家ミーティングを通じ、段階を踏んで行われました。

前日まで
・ゲストを検討。複数の候補者の中から両氏に絞った。
・実施方法について討議。
・両氏について、これまでの活動を中心とした勉強会を実施。
・尋ねたい項目を募り、質疑表を作成。両氏にインタビューにご協力いただいた。
・インタビューを元に、討議。

当日
・参加作家を代表して山咲さんが列席し、随時質問をはさんだ。
・会場からも、適宜質問を挟んでもらった。
・事前に実施したインタビューは、参考資料として当日会場にて配布した。
・会場では、質問記入用紙を回した(シャイな人対策)。
・全体2時間のうち最後の30分を会場からの質疑応答にあてた。




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